浮世絵で見る江戸・亀戸

第8回 亀戸天神境内〜その5

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:天神なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

後ろめたさが神社の始まり?

祟りじゃ〜、道真様の祟りじゃ〜…。


何それ?



これだから若いヤツは嫌いだよ。「八つ墓村」も知らんのか。道真が亡くなったのは延喜3年(903)だけど、その6年後に道真を太宰府に追いやった張本人、藤原時平が病死する。まだ39歳だった。

道真公は何歳で亡くなったの?


58歳だから、この時代としては長生きした方だろうね。時平の死だけなら珍しいことではないと思うけど、その後、醍醐天皇の皇子である保明親王、この人は時平の甥でもあるんだけど、延喜23年(923)に死去、さらにその息子の慶頼王が延長3年(925)に病死するんだ。

あれっ? いつのまにか天皇の親戚になってたのね。


道真追放の直後に、時平は妹の藤原穏子を醍醐天皇の女御として入内させていたんだ。天皇家と姻戚関係を結んで、安泰を図ろうとしたんだな。

女御って何? 奥さんのこと?


奥さんではない。正式な奥さんは皇后。その次の奥さんが中宮、で、その次が女御。平安時代の大奥みたいなものだな。

要するに、愛人ってことね。



現代の感覚で考えるからそういうことになる。天皇家も血統を保持するためにたくさんのタネを撒いておく必要があったわけ。今はそういう習慣がないから「皇位継承問題」が起きるんだね。まぁ、それとは別に、平安時代というのは性に関しておおらかな時代だったんだ。

男性にとってはいい時代ってことよね。


そうとも限らんさ。女性だっておおっぴらに恋を楽しめたんだからね。ちなみに、藤原時平はそっちの方もお盛んで、伯父さんの奥さんがあんまり綺麗だからっていうんで、寝取っちゃった上に、子供までできちゃった。

モラルもジョーシキも無い世界ね。


そういった「源氏物語」的世界が儒教の伝来によって失われていくんだな。ワタシも生まれてくる時代を間違えたね。

蔵三さんの場合は、どんな時代に生まれても同じだと思うけど。

失礼な!ワタシだって髪の毛さえあれば…。まぁ、それはさておき、延長8年(930)には、朝議中の清涼殿にカミナリが落ちた(写真左)。そこで、道真追放に絡んでいた大納言藤原清貫を筆頭に、たくさんの死傷者が出たんだ。で、醍醐天皇も、それを目撃したショックのせいかどうかはわからないけど、体調を崩したまま3ヶ月後に亡くなる。

うわ〜、確かにそこまで行くと祟りっぽいわよね。


朝廷は、それらがすべて道真の祟りだと信じた。だから、亡くなって20年も経っているのに赦免したり位を格上げしたりして、ひたすら名誉回復に努めるわけ。ちなみにこの名誉回復運動は正暦4年(993)の太政大臣追贈まで続くから、朝廷は1世紀もの間、道真を恐れ続けたことになる。

アハハ、いくらなんでもちょっと長すぎない?


落雷事件を機に、道真は雷神になって復讐したのではないかという考えが広まる。そこで朝廷は火雷天神が祀られていた北野の地に道真の霊を鎮める神社を造る。これが北野天満宮だ。そこから道真を「天神様」として祀る天神信仰が普及していくんだ。

そうか。だから北野天満宮も亀戸天神も湯島天神も、みんな梅の名所なのね。

そう。梅と牛。必ず道真の好きなものがセットになっているわけ。加えて、道真が優れた学者でもあったから、祟りをなす恐ろしい「天神」というイメージから、徐々に「学問の神様」という御利益重視の信仰にシフトしていくんだな。

やっぱり人の足を引っ張ったりしないで、マジメにコツコツ勉強してマジメに暮らす人が最後には勝つということね。

その通り、と言いたいところだけど、道真が「石部金吉」だったというわけじゃない。一般の貴族同様、女遊びも盛んにやっていたようだし、愛人もたくさんいたようだ。一方で、学問ばかりじゃなくて弓の名手だったという話も残っているんだ。

ふ〜ん、そう言われると、道真公も脂ぎったオヤジっぽい印象に変わるわねぇ。ホントに道真公は無実の罪だったの?

まぁ、そこですよ問題は。「祟る神様」として道真と並んで有名なのが平将門だけど、この2人がそういう存在になった背後には、立派な人物だったのに汚名をきせてしまったという、周囲の人たちの「後ろめたさ」があったと思うんだ。

っていうことはやっぱり無実の罪って考えた方がいいのかなぁ。

そうだね。道真も将門も死してなお慕う人間が多かったし、彼らを貶めた連中にはどこかやましさがあったんだと思う。だから神様としてまつりあげたのは、「贖罪意識」の現れと考えていいんじゃないかな。

だけど死んでからご機嫌取られても仕方ないわよね。どうせなら生きてるうちにそうして欲しいわよね、蔵三さん。

キミのご機嫌取ったって何の御利益もないからなぁ。かえって頭悪くなりそうだし…。

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