浮世絵で見る江戸・亀戸

第7回 亀戸天神境内〜その4

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:天神なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

急転直下のクーデター

それで、結局道真公が反対した税務調査官はどうなったの?


すぐに廃止になったよ。それだけ道真の発言力は大きくなっていたんだ。その年、寛平8年(896)に道真は民部卿、今で言う財務大臣になって朝廷の財政再建を一手に任されることになる。

何かトントン拍子って感じね。



まぁ、道真は権力を得る事よりも改革の方が大事だったと思うよ。財政改革と並行して官庁の再編で人員整理を行ったり、文化事業も推進しているからね。加えて、この時代には奴碑制度、つまり日本における奴隷制度が廃止されたという記録も残っているんだ。

へぇ〜、道真公ってリンカーンみたい。



細々した政策を挙げると難しい話になるから省くけど、税制改革の総仕上げとして道真は全国的な検地まで行おうとしていたらしい。これが歴史上で実現するのは秀吉の時代だからね。今にして思えば凄い先見性だ。

だけど、そんな風に改革を進めていったら、絶対反対する人たちもいるでしょ。


まぁ、その点では現代と全く同じだ。道真の改革は身分や階級を問わなかったからね。まず既得権者、藤原北家を始めとする上級貴族に中級以下の貴族、今で言う政財界の大物や官僚達だな。こういった連中の反発が次第に強くなっていくんだ。

生活基盤を変えたくないっていう人たちはいつの時代も同じね。世の中がどうなったって自分たちだけはイイ思いをしたいって思うんだもの。

そんな中、反道真派にとって分岐点となるのが寛平9年(897)だった。後ろ盾だった宇多天皇が突然引退して、皇太子に譲位するんだ。この醍醐天皇の即位は、道真も了解済みではあったらしいけど、同時期に改革派の盟友でもあった源能有が亡くなって、結果として道真は実質的な最高実力者になるんだ。

あら、むしろ良かったんじゃないの。若い天皇だからコントロールしやすいでしょ。


たぶん宇多天皇にもそういう意図があったと思う。ただ、源能有の死は後で考えれば痛恨の出来事だったな。強力な味方がいなくなったということだ。ライバルの藤原時平もほぼ同時期に出世したから、これをきっかけに朝廷は道真派、時平派に別れたと言っていいだろう。

派閥抗争ってそんな昔からあったのねぇ。何か複雑な気分。


宇多天皇は道真をこれまで通り重用するよう、醍醐天皇に約束させるんだけど、藤原時平一派も反改革派を巻き込んで秘かに勢力を伸ばしていたんだ。やはり名門藤原北家、侮りがたしということだな。

それじゃあ、天皇が変わって道真公の出世は止まっちゃったの?


いやいや、それから3年間は宇多上皇のバックアップもあって道真は殿上人として君臨したんだ。この時が道真の絶頂期と言ってもいいね。ところが一転して昌泰4年(901)の年明けに、さすがの道真も予想もしなかった歴史的クーデターが起きる。

クーデターっていう言葉は平安時代にはなかったでしょ。どういうこと?


道真が突然太宰府に左遷されることになったんだ。左遷の理由はこうだ。「宇多上皇とつるんで醍醐天皇を廃位し、その弟を皇位につけようとたくらんだ」

ゲゲッ、道真公がホントにそんな事企んでたの?


真実はわからないけど、これを仕組んだのは藤原時平だ。時平一派はこの3年の間に勢力を伸ばし、宇多・道真派を抑えて朝廷の多数工作を行っていたんだろうね。「道真嫌い」が増えた分、若い醍醐天皇を凋落するのも簡単だったかもしれない。だから事態を知った宇多上皇が急いで醍醐天皇に面会を求めたけど阻止された。

っていうことは、宇多上皇はもう…。



そう。すでに影響力を失っていたんだ。つまり、宇多・道真コンビは自分たちがすでに孤立していた事に気がつかなかったということだな。その点では時平の方が政治家としては一枚上だったとも言える。ただ、このクーデターにはさまざまな説があるけど、道真がハメられたっていう説の方が圧倒的に強いんだ。

ははぁ。何か根拠があるわけね。



そう。まず第一に、道真左遷後にトップを取った時平一派だけど、政策的には道真路線を継承した。

あれ?改革反対派じゃなかったの?。



反対派を味方に引き込んだのは事実だろうけど、それは道真を追い落とす手段に過ぎなかったとも言える。時平は道真への権力集中に危機感を持っていたんだと思う。このままでは自分は道真の影に隠れて埋没するとね。だから、それまでの道真の功績は記録から消して、すべて自分がやったことにしたんだ。

え〜〜〜、ひどいヤツねぇ。



そう思うだろうけど、時平という人は決して無能ではなかったと思うよ。実際、道真路線を忠実に継承して成果を上げているからね。要するに、道真という天才と同じ時代に生まれた不幸と言うことさ。

そうかぁ。強すぎる選手がいるからオリンピックに一度も出られないナンバー2みたいなものね。

あはは。なるほど、確かに。ナンバー2の反乱と言ってもいいね。ところが、その時平の栄華も長くは続かなかった。それどころか、左遷された道真が太宰府で失意のまま亡くなった後、いろいろな事件、事故が頻発するんだ。

えっ、もしかすると、それが道真公の祟りってこと?


←道真を祀った太宰府天満宮(福岡県太宰府市)

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