浮世絵で見る江戸・亀戸

第6回 亀戸天神境内〜その3

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:天神なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

本当は関わりたくない?神様

ところでキミ、天神様には行ってきたの?



ゴールデンウィークの初日に行ったら、まだあんまり藤の花が咲いてなくて、その後咲いたかなと思って行ったら、雨と風ですっかり散ってましたよ。


だから言わんこっちゃない。キミみたいに信心の足らんヤツが、花が咲く頃に限って大挙して繰り出すから、きっと道真公がお怒りになったんだよ。


え〜、今回の悪天候は道真公の祟りってこと?まさか〜。



まさか〜じゃないよ。道真公の祟りには歴史的根拠があるんだから。そもそも菅原道真は幼い頃から「神童」で、特に漢詩については並外れた才能を発揮した。32歳で祖父の代から受け継がれた文章博士(もんじょうはかせ)、つまり漢文の教授になって、そのまま学問の道に進むのかと思ったら、讃岐の国司、今で言うなら香川県知事を任じられて、現地に赴くことになる。

ふ〜ん、でも大学の先生が知事になるなんて、まるで畑違いじゃない?



ところが道真は、赴任した讃岐で領民達の悲惨な生活振りを目の当たりにして、政治に目覚めるんだな。41歳の時だ。その翌年、宇多天皇が即位すると、実質的な最高権力者だった藤原基経が、天皇の詔勅の中にあった「阿衡(あこう)」という一文に因縁をつけて、国政を放棄するという事件が起きる。

あらら。なんとなく歴史で習った気がするけどその時代って、すでに天皇じゃなくて藤原氏が最高権力者だったのね。


いわゆる摂関政治の発展期だな。ちなみに基経は最初の関白だ。



でも、言葉がどうのこうのって言って職務を放棄するなんて、ちょっと大人げない気がするけど…。


うん。実際は、基経は天皇の詔勅に「権限の全面委譲」という意味の言葉がなかったことに腹を立てたということらしい。宇多天皇を推薦したのは基経だからね。「この恩知らずの若造め」ってな感じかな。でも、結果的にこの「阿衡事件」は、天皇がすでに傀儡で、藤原氏がいないと何もできないことを実証してしまったわけ。

宇多天皇はちょっと気の毒ね。



そこに登場するのが道真だ。天皇は泣く泣く詔勅を起草した橘広相を罷免するんだけど、それじゃ生ぬるい、どっか遠くに飛ばせって基経が食い下がるものだから、道真がはるばる讃岐から基経に手紙を送って「これ以上問題を大きくするのは藤原氏の為になりませんよ」ってな感じで諫めるんだな。

道真公、カッコイイわね〜。最高権力者を諫めるなんて…。



それで結果的に基経も引き下がるんだけど、この一件で道真の株が急上昇するんだな。特にしびれたのが宇多天皇その人だ。藤原氏に唯一対抗しうる人物として、讃岐から帰京すると、天皇の信頼を一手に受けることになる。

あら、それじゃ基経さんが面白く無いじゃない。



基経は道真が京に戻った翌年に病死するんだ。これが追い風になって、道真は出世街道をばく進。文人から政治家へと華麗な転身を遂げるわけ。49歳の時には、すでに没落していた唐へ使者を派遣するのは無意味と言うことで遣唐使を廃止する。これが原因で中国との国交が無くなって、その後国風文化という日本独自の文化が花開くわけだけど、漢文の大家である道真にとっては苦渋の決断だったかもしれないね。

それじゃ、平安時代に「鎖国」しちゃったっていうこと?



貿易を禁じたわけではないから、鎖国ではないさ。単純に相手国が滅亡寸前だったということだよ。でも、変に唐のカタを持たなかったから、日本は渤海みたいに共倒れになることもなかったし、道真は廃止の理由として航海が危険で、これまでに多くの犠牲者を出していることも挙げている。それだけでも、先見性と合理性を兼ね備えた人物だったということがわかるよ。

そのほかに道真公はどんなことをしたの?



今風に言えば政治改革だね。宇多天皇はそれまで藤原氏が一手に掌握してきた政治を天皇中心の政治に戻そうと考えたんだ。「土地と人民は王の支配に属する」という律令制への回帰だな。その為にまず人事権を掌握して、それまで藤原北家が独占していた主要ポストに、源能有(みなもとのよしあり)を筆頭に、平季長、菅原道真のような藤原北家とは縁の薄い実力者を抜擢した。

あれ、藤原氏はいなくなっちゃったの?



基経の子、藤原時平は参議として残ったよ。この時平が道真の強力なライバルとして、その後対立することになるんだけど…。まぁ、それは後の話として、藤原氏の権力基盤であった地方豪族や寺社からの寄進、つまりワイロをやめさせる為に、税の徴収を一本化するよう方向転換を図ったんだ。

その時代の税って何だっけ?確か租庸調とか…。



そう。お米などの生産物と労働ね。律令制というのは、一言で言えば中央集権制なんだけど、一方で「王の前では誰もが等しく平等である」という弱者尊重の制度でもある。律令制の下では本来すべての土地が国有地である筈だったのが、墾田永代私財法の発布以来、地方豪族や寺社によってどんどん私有地化されて、貧富の差が激しくなっていた。そこでそういった土地の私有化を法律で抑制すると同時に、税負担を、それまでの人頭税的な一律徴収から、土地の所有者を対象にした土地税制へと転換した。要するに、富める者から多く集めるというような、実情に即した税制の近代化だね。加えて税の取れない私有地は国に返すという荘園整理にも着手した。

ふ〜ん。律令制って、土地は国のもので、そこで働く人はみんな平等っていうことなんだ。天皇だけが特別だっていう以外は、今でいう共産主義みたいな考え方だったのね。ちょっと意外。

結果的に貴族という天皇のトリマキ連中ばかりがいい思いをするという構図も、かつての旧ソ連共産党幹部みたいで、考えさせられるね。まぁ、それは置いといて、道真は税の徴収も国司に任せると言うことで一本化して国司の権限も強化した。これは、国の監視を強め、地方での勝手を許さないぞという宣言でもある。

でも、国の監視を強めるっていうのは、今問題になっている地方分権とは正反対の考え方よね。


あはは。面白い事を言うね。それは藤原氏やそのバックにいる連中の力を抑えるための手段であって、実際の道真は地方分権的な発想も持っていたんだ。その例として、国司がズルをして国に報告しない備蓄米を持っている例があるから、摘発のために検税使、つまり国の税務調査官を派遣しようということになったんだけど、道真はこれに最後まで反対していたというんだな。自分の讃岐時代の経験から、不作などで一定の税収が賄えない場合は、例え法令違反ではあっても、農民を守るためにはやむを得ないのではないか、つまり国司を信用し、その裁量に任せるべきという考えだったようだね。

ふ〜ん。何かすご〜く立派な政治家じゃない。生き返って今の時代に活躍して欲しいわね。


←月岡芳年によって描かれた「神童」道真の錦絵

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