浮世絵で見る江戸・亀戸

第3回 亀戸梅屋舗〜その3

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:天神なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

梅屋敷の面影

だけど、今までの説明だと、そんなに人気スポットだったっていう感じはしないなぁ。だって最初の絵は変わった形の梅の木が描かれているだけだし、写真には花が咲いてないし…。

そう言うならこんなのもあるよ(ガサゴソと図録を取り出す)。国会図書館蔵「東都名所亀戸梅屋舗全図」(左)。これも広重の作だ。もっとリアルなのを見たいなら国会図書館にはこんな写真も残っているよ。

わぁ〜、これなら感激ね。今すぐにでも行ってみたくなるわ。

そうだろ。この開放感と美しさを見れば、将軍だって行きたくなるはずだ。それに、この梅園ではお土産用に梅干しまで販売していたんだ。だから、江戸時代の亀戸の名物と言えば梅干しだったんだよ。ただし、当時は梅干しとは呼ばずに「梅漬け」と呼んでいた。

なんか、梅干しって聞いただけで唾液がでてくるわ。


『和歌食物本草』には「梅干は吐逆をとめて痰を切るのどの痛むに含みてぞよき」「梅干は口の乾きを止むるなり食をばすすむ多く食すな」なんて書いてあるから、当時は薬としての効用が謳われていたようだね。

梅干しを売るなんて、ここの持ち主はなかなかの商売上手だったのね。どんな人だったの?

それがよくわかっていないんだ。呉服商・伊勢屋彦右衛門については何も資料が残っていないんだよ。ただひとつ確かなのは、何一つ残っていない今となっては、もはや確かめる術がないということ。

でも、梅の木が洪水でだめになったのは仕方ないとしても、お屋敷ぐらい残しても良かったのに…。

それもねぇ、もともとあった建物は梅の木よりも前に安政の大地震で倒壊して無くなっていたらしい。だから写真に写っていた建物はそれ以降に再建されたものだと思うよ。

災害で消えたなら仕方ないわね。でも、今は亀戸天神にも立派な梅の木がたくさんあるからいいんじゃないの?

確かに、今の亀戸にはかつての一大行楽地「梅屋敷」の面影は残っていないけど、梅酒とかケーキとかに商品名として使われていたり、半蔵門線の錦糸町駅に広重のパネルがあったり、浅草通り沿いに説明版と臥龍梅の碑、それに申し訳程度の紅白の梅が植えられているからね。まぁ、梅屋敷が忘れ去られずにいるのは、広重の絵がゴッホに模写されて、それが逆輸入のような形で評価されたからかもしれない。

ゴッホの時代に亀戸の梅がヨーロッパで有名だったなんて、何か不思議な感じね。

まぁ、亀戸梅屋敷の雰囲気だけでも味わいたいというなら、東武亀戸線に乗って、小村井駅で降りて小村井香取神社に行ってみるといいかもね。ここの「香梅園」はだいぶ規模は小さいけど、梅屋敷を再現しようとして造ったということだ。
今年の梅の季節は終わっちゃったから、来年ということね。

そうそう。これから咲く花といえば、亀戸なら藤の花だ。その亀戸天神の話はまたこの次に…。

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