浮世絵で見る江戸・亀戸

第10 柳しま〜その2

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:天神なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

江戸のグルメと平成のグルメ

さて、前回は話が脇道にそれすぎたから、今回はキチンと話そう。広重の絵の位置関係がちゃんとわかるように、ほぼ同じ構図で描かれた「江戸名所図会」を見てみよう。


あっ、上から見た絵ね。こっちの方がわかりやすいかも。



青い丸で囲んであるのが「妙見さま」の法性寺で、黄色い丸で囲んであるのが柳島橋。そして赤い丸が料亭橋本だ。広重の絵ではこの料亭がほぼ中央に描かれているけど、敢えて「妙見さま」をきちんと描かずに、屋根と塀の一部だけを見せるというのは、他の絵にも良く見られる手法で、広重の特徴でもある。

確かに「江戸名所図会」の方は「妙見さま」がテーマになっているわね。



だからといって、料亭橋本が主役として役不足というわけではないんだ。文久元年に発行された「魚尽見立評判会席献立料理通番付」というグルメ本では、東の最高位から数えて十番目にランク付けされているからね。料亭橋本の賑わい振りを見るなら、こっちの一寿斎芳員の「東都名所」の方がわかりやすいかもね。


提灯が下がっていて、お客さんの姿も見えるわね。ここでどんな料理が出されたのかな?


さっきのグルメ本には「柳島 骨も残さぬ若鮎 橋本」と書いてあるし、鹿島萬兵衛の『江戸の夕栄』には、梅の頃に横川に舟を入れ、橋本で枯野を眺めながら鯉こくで一杯と書いてあるから、鮎や鯉などの川魚が名物だったと思うよ。要するに、梅が見頃になった季節は、亀戸天神、梅屋敷、妙見さまと一巡したあとに橋本で寛ぐというコースが出来上がっていたんじゃないかな。

なるほど。完璧な観光コースのシメになっていたわけね。



亀戸は歩けば江戸の中心部から一日コースだけど、舟を使えば気軽に来られたのかもしれない。梅の季節じゃなくても、亀戸天神と妙見さまは亀戸観光のワンセットだったと思うよ。妙見さまこと法性寺は、今でこそ防火対策が高じてビルになっちゃたけど、江戸時代には日蓮宗の古刹として有名だった。ここにお参りして運を開いた有名人がたくさんいるんだよ。

有名人って、例えばどんな人?



まず第一に葛飾北斎だ。若い頃師匠に破門にされて、生活苦に陥った北斎は、一時、画業を廃業しようとまで考える。藁にもすがる思いで、妙見さまへ21日間お参りした最後の日の帰り道、落雷に遭って失神するんだ。そしてなぜかその後、江戸を代表する画家として一気に名声を手にするようになる。

あはは。嘘くさ〜い。



エピソードは嘘くさいけど、葛飾北斎と名乗るようになったのは、姓は葛飾本所の生まれだから。名は、法性寺の「開運北辰妙見大菩薩」にちなんで「北斎辰政(ときまさ)」にしたというのが定説だ。他にも近松門左衛門、歌舞伎の中村仲蔵・市川左団次・六代目菊五郎、落語の六世桂文治なんかが運を開いたらしいよ。まぁ、そう考えると、芸事に所縁のある神様なんじゃないかな。

へぇ〜、それならワタシも運を開きに行かなきゃ。



キミのような「無芸大食」には縁がないと思うよ。ちなみに「開運北辰妙見大菩薩」の「北辰」というのは北極星のこと。剣豪・千葉周作の流派を「北辰一刀流」なんて言うだろ。北極星は、常に北を指しているから、昔から旅人のコンパス代わりになってきた。これが長じて、人生の道を導き開いてくれる開運の守護神ということになったわけ。総合的には、国土安穏・五穀豊穣・除災招福、開運隆昌の守護神ということになっている。

「大食」は余計でしょ。でも、どうしてそんな有り難い神様がビルに閉じこめられちゃったの?


震災や空襲で度々焼けたから、再建の必要に迫られていたんだけど、戦後になって周囲に小さな家がゴチャゴチャ増えてきたから、このままでは火事になると延焼して大火災になる危険性が高いということで、都の主導で業平・押上・文花・立花地域の広域避難場所計画の話が持ち上がった。ところが、住み慣れた地を離れたくないという地域住民の反対があって難航した。そこで、当時町会長だった法性寺住職が、寺を燃えにくいビルにして、寺の敷地にマンションを建設するという苦渋の決断をなさったんだよ。

そうかぁ。それなら仕方ないわね。でも、料亭橋本はどうなっちゃったの?



芥川龍之介が昭和2年に書いた『本所両国』には、こんな風に書かれている。「名高い柳島の「橋本」も今は食堂に変っている。尤もこの家は焼けずにすんだらしい。現に古風な家の一部やあれ果てた庭なども残っている。けれどもすりガラスへ緑いろに「食堂」と書いた軒燈は少くとも僕にははかなかった。(中略)堀割を隔てた妙見様も今ではもうすっかり裸になっている」。震災後、かろうじて焼け残ったけど、食堂になってしまって、その後衰退したようだね。まぁ、江戸のグルメスポットはなくなっちゃったけど、時を隔てて平成の今、川をはさんですぐ向こう側に平成のグルメスポットができたじゃないか。

やっぱり「ソラマチ」のことね。蔵三さん、行かないとか言ってたくせにグルメスポットだってことは知ってるんじゃないの。やっぱり一度は行ってみなくちゃ。
<おわり>

ページトップへ戻る